113 件のうち 31 件 - 制度の両側で最大の当事者
FA 制度が導入された 1993 年から 2025 年までに、国内の他球団へ FA で移籍した例は 113 件ある。そのうち移籍先が読売だったのは 31 件で、全体の約 27 % を占める。2 位の阪神とソフトバンクはともに 12 件で、読売はその 2 倍半にあたる。
FA で選手を取った球団は、前の球団に補償を払う。選手 1 人を差し出す人的補償は同じ期間に 42 件行われ、そのうち 16 件、約 38 % は読売が選手を出した例だった。逆に読売が人的補償で選手を受け取ったのは 2 件しかない。読売は取る側でも手放す側でも、制度の最大の当事者である。
この記事は、読売が FA で獲得した 31 人と、その見返りに出した補償を年の順に並べる。制度の全体像と大型補強の歴史は、NPB の FA 制度の記事と読売の FA 問題の記事に譲る。
補償の仕組み - ランク、プロテクト 28 人、40 日
1993 年から 2007 年までは、FA で移籍した選手の全員が補償の対象だった。金銭だけなら旧年俸の 1.2 倍、人的補償を求めるなら選手 1 人と旧年俸の 0.8 倍で、2 度目以降の FA はどちらも半分になる。
2008 年からはランク制に変わった。前の球団の日本人選手の中で旧年俸が 1〜3 位なら A、4〜10 位なら B、11 位以下なら C で、補償の対象は A と B だけになる。A は金銭だけなら旧年俸の 80 %、人的補償なら選手 1 人と 50 %。B は金銭だけなら 60 %、人的補償なら選手 1 人と 40 % である。C の選手は補償なしで移籍でき、外国籍選手はランク付けの対象外である。
補償の対象から外せる選手 (プロテクト) は、導入時の 40 人から段階的に減り、2004 年から 28 人になった。外国籍選手、直近のドラフトの新人、育成契約の選手は、名簿の外でも取れない。獲得した球団は契約の公示から 2 週間以内に名簿を渡し、補償は 40 日以内に終える。補償の対象になる A と B の選手を取れるのは、原則 1 球団 2 人までである。
読売が FA で獲得した 31 人と出した補償
次の表は、1993 年から 2025 年までに読売が FA で獲得した 31 人である。年は選手が FA 権を行使した年で、読売への入団は翌年になる。ランクが付くのは制度ができた 2008 年以降の行だけである。「国内」「海外」は行使した FA 権の種類を表す。
| 年 | 選手 | 移籍元 | 種類と ランク | 読売が 出した補償 |
|---|---|---|---|---|
| 1993 年 | 落合博満 | 中日 | - | 金銭 |
| 1994 年 | 川口和久 | 広島 | - | 金銭 |
| 1994 年 | 広沢克己 | ヤクルト | - | 金銭 |
| 1995 年 | 河野博文 | 日本ハム | - | 人的補償 川邉忠義 |
| 1996 年 | 清原和博 | 西武 | - | 金銭 |
| 1999 年 | 工藤公康 | ダイエー | - | 金銭 |
| 1999 年 | 江藤智 | 広島 | - | 金銭 |
| 2001 年 | 前田幸長 | 中日 | - | 人的補償 平松一宏 |
| 2005 年 | 野口茂樹 | 中日 | - | 人的補償 小田幸平 |
| 2005 年 | 豊田清 | 西武 | - | 人的補償 江藤智 |
| 2006 年 | 小笠原道大 | 日本ハム | - | 金銭 |
| 2006 年 | 門倉健 | 横浜 | - | 人的補償 工藤公康 |
| 2009 年 | 藤井秀悟 | 日本ハム | 国内 / C | なし |
| 2011 年 | 村田修一 | 横浜 | 海外 / A | 人的補償 藤井秀悟 |
| 2011 年 | 杉内俊哉 | ソフトバンク | 国内 / A | 金銭 |
| 2013 年 | 大竹寛 | 広島 | 国内 / A | 人的補償 一岡竜司 |
| 2013 年 | 片岡治大 | 西武 | 国内 / B | 人的補償 脇谷亮太 |
| 2014 年 | 相川亮二 | ヤクルト | 海外 / B | 人的補償 奥村展征 |
| 2014 年 | 金城龍彦 | DeNA | 海外 / C | なし |
| 2015 年 | 脇谷亮太 | 西武 | 国内 / C | なし |
| 2016 年 | 山口俊 | DeNA | 国内 / B | 人的補償 平良拳太郎 |
| 2016 年 | 森福允彦 | ソフトバンク | 国内 / C | なし |
| 2016 年 | 陽岱鋼 | 日本ハム | 国内 / B | 金銭 |
| 2017 年 | 野上亮磨 | 西武 | 国内 / B | 人的補償 高木勇人 |
| 2018 年 | 炭谷銀仁朗 | 西武 | 海外 / B | 人的補償 内海哲也 |
| 2018 年 | 丸佳浩 | 広島 | 国内 / A | 人的補償 長野久義 |
| 2020 年 | 梶谷隆幸 | DeNA | 国内 / B | 人的補償 田中俊太 |
| 2020 年 | 井納翔一 | DeNA | 国内 / C | なし |
| 2024 年 | 甲斐拓也 | ソフトバンク | 国内 / B | 人的補償 伊藤優輔 |
| 2025 年 | 松本剛 | 日本ハム | 国内 / B | 金銭 |
| 2025 年 | 則本昂大 | 楽天 | 海外 / A | 人的補償 田中千晴 |
31 人の内訳は、人的補償が 16 人、金銭補償が 10 人、C ランクで補償なしが 5 人である。この表には NPB で初めての例が並ぶ。1995 年に河野博文の補償で日本ハムへ移った川邉忠義は、NPB で最初の人的補償の選手だった。1999 年の工藤公康は NPB で初めて 2 度目の FA で移籍した選手で、2016 年に山口俊、森福允彦、陽岱鋼を取った読売は、1 球団が同じ年に 3 人を FA で獲得した最初の球団になった。
FA で取った選手を、後に別の FA の補償で出した例も 3 件ある。1999 年に取った江藤智は 2005 年に豊田清の補償で西武へ、同じ 1999 年に取った工藤は 2006 年に門倉健の補償で横浜へ、2009 年に取った藤井秀悟は 2011 年に村田修一の補償で横浜へ移った。江藤の例は、人的補償の選手が過去の FA 加入者だった初めての例である。2013 年に片岡治大の補償で西武へ出た脇谷亮太は、2015 年に FA で読売へ戻り、人的補償で出た選手が FA で戻った初めての例になった。
同じ期間に読売から FA で他球団へ移った選手は、1993 年の駒田徳広 (横浜)、2006 年の小久保裕紀 (ソフトバンク)、2011 年の鶴岡一成 (DeNA) と大村三郎 (ロッテ)、2013 年の小笠原道大 (中日) の 5 人だけである。読売が人的補償で受け取ったのは、小久保の補償の吉武真太郎と、大村の補償の高口隆行の 2 人にとどまる。
内海哲也 - 開幕投手 3 回の左腕を補償で西武へ
内海哲也は 2003 年のドラフトで自由獲得枠として読売に入った左腕である。開幕投手を 3 回務め、2011 年に 18 勝、防御率 1.70 で最多勝、2012 年にも 15 勝で最多勝を取った。読売の左腕が 2 年続けて最多勝になったのは球団史上初めてで、2012 年は日本シリーズの MVP にも選ばれている。2010 年から 2013 年まで選手会長を務めた。読売での 15 年の通算は 133 勝 101 敗である。
2018 年 12 月 20 日、読売は内海が西武へ移ると発表した。海外 FA 権を行使して西武から移った炭谷銀仁朗 (B ランク) の人的補償である。NPB の公示は翌 21 日だった。読売の開幕投手の経験者が人的補償で他球団へ出たのは、球団史上初めてだった。背番号には炭谷が西武で着けていた 27 を自ら選び、「1 つでも上に行くという思いを込めて、(炭谷) 銀仁朗君の後になりますが、26 番より先に行くという気持ちで」と語っている。
2019 年は左前腕の故障でプロ入り後初めて一軍の登板がなく、10 月 24 日に手術を受けた。2020 年 9 月 2 日のロッテ戦で 743 日ぶりの勝利を挙げ、2021 年 6 月 9 日の DeNA 戦で通算 135 勝目に届いた。2022 年 8 月 16 日に引退を発表し、通算 18 年で 135 勝 104 敗、防御率 3.24 を残した。2023 年の西武のファーム投手コーチを経て、2024 年に読売の一軍投手コーチとして戻った。
長野久義 - 2 度の指名拒否を経て入った生え抜きを補償で広島へ
長野久義は 2006 年の日本ハムの 4 位指名と 2008 年のロッテの 2 位指名を拒み、2009 年に読売の 1 位指名で入団した。経緯はドラフト指名拒否事件の記事と、指名を拒んで読売に入った選手の系譜の記事にある。2010 年に新人王、2011 年に打率 .316 で首位打者、2012 年に 173 安打で最多安打を取り、ベストナインとゴールデングラブにそれぞれ 3 回選ばれた。読売での 9 年では 1,209 試合、1,271 安打、137 本塁打、500 打点を記録した。
2019 年 1 月 7 日、読売は長野が広島へ移ると発表した。国内 FA 権を行使して広島から移った丸佳浩 (A ランク) の人的補償である。内海に続く生え抜きの流出で、読売はひと冬に 2 人を補償で出した。NPB の公示は 1 月 23 日だった。背番号は、広島が示した 5 と 9 のうち、長野が 5 を選んだ。9 は緒方孝市 監督の現役時代の番号で、丸の後継と期待される野間峻祥に配慮した。
広島での 4 年は 296 試合、174 安打、20 本塁打だった。2020 年は代打の打率 .440 がリーグ 1 位で、9 月 22 日の読売戦では菅野智之から 3 ランを打ち、全球団からの本塁打を記録した。2022 年 11 月 2 日に、無償と報じられたトレードで読売へ戻ることが発表された。野球協約 第 105 条に基づく移籍で、広島の球団本部長が、2 度のドラフト拒否を経て読売を貫いた選手は読売でユニフォームを脱ぐべきではないかと読売に持ちかけ、合意に至った。背番号は広島へ移る前と同じ 7 に戻った。読売に戻った 2023 年の推定年俸は 1 億円減の 2,000 万円で、この年は 75 試合で打率 .259、6 本塁打、19 打点を残した。
制度の中で読売がしたこと - 補償を避け、人的補償の撤廃を求めた
2016 年に DeNA から B ランクで取った山口俊の年俸は、推定 8,000 万円の据え置きと発表された。FA 宣言選手の翌年の年俸は現状維持が上限で、超えるには特別な事情を文書で申請し、コミッショナーが認める特例が要る。2017 年 8 月 19 日のサンケイスポーツの報道で、山口の契約はこの特例が認められた約 2 億 5,000 万円だったと分かった。報道は、山口が 2017 年 7 月の傷害事件で出場停止などの処分を受けた後のことだった。
2017 年 10 月には、国内 FA 権を再び得ていた村田修一を自由契約にした。鹿取義隆 GM は、村田が他球団へ移る時に補償の義務が生じるのを避ける意図だったと説明している。長野を補償で出したのと同じ 2019 年の 11 月には、原辰徳 監督が「FA の明るさを取り戻すため」として人的補償の撤廃を主張した。ソフトバンクの三笠杉彦 GM は一部に賛成し、中日は、自軍を有利にしたいだけの主張だとして断固として反対した。2020 年 12 月には読売 OB の中畑清が、人的補償をやめて翌年のドラフト指名権を譲る案を挙げ、続けるなら対象を育成選手まで広げるべきだと述べた。2023 年 11 月には中田翔がオプトアウトで契約を破棄して自由契約になり、読売は補償を受け取れない形で手放している。
28 人のプロテクトは制度が決めた数で、誰を外すかは球団が決める。開幕投手を 3 回務めた内海と、新人王と首位打者を取った長野が外れた冬は、読売が丸 (A ランク) と炭谷 (B ランク) を同時に取った冬だった。補償の義務を避けるために選手を自由契約にしたのも、人的補償の撤廃を主張したのも読売の側である。制度の見直しを語る前に、制度の中で読売が何をしてきたかを並べておく必要がある。
この記録には限界もある。内海と長野がプロテクトから外れた経緯はこの記事では扱わず、年俸はすべて報道の推定である。表と件数は FA で移籍した選手の公開された一覧を数えたもので、プロテクトの判断についての読売側の説明は載せていない。