駒大苫小牧から楽天へ
田中将大は 2006 年の甲子園決勝で早稲田実業の斎藤佑樹と投げ合い、「ハンカチ王子対マー君」として社会現象を巻き起こした。駒大苫小牧高校から 2006 年にドラフト 1 位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。高卒 1 年目の 2007 年に 11 勝 7 敗を記録し、新人ながらチームの主力投手となった。楽天は 2004 年に新規参入したばかりの球団であり、田中は球団の成長とともにエースへと成長していった。2011 年には 19 勝 5 敗、防御率 1.27 を記録し、沢村賞を受賞した。
2013 年 - 24 勝 0 敗の衝撃
田中将大の 2013 年は、NPB 史上最も完璧なシーズンであった。レギュラーシーズン 24 勝 0 敗、防御率 1.27。シーズン無敗は NPB 史上初の快挙であり、24 連勝は開幕からの連勝記録としても歴代最多であった。田中の投球は圧倒的であり、完投 8、完封 4 を記録した。特に注目されたのは、スプリットフィンガード・ファストボール (スプリット) の精度であった。打者の手元で鋭く落ちるスプリットは、NPB の打者にとって攻略不可能な球種であった。この年、田中は MVP と沢村賞を同時受賞した。MLB での経験は、帰国後の NPB でのプレーにも大きな影響を与え、国際的な視野を持つ選手として後輩たちの手本となった。
楽天初の日本一と伝説の登板
2013 年の日本シリーズでは、楽天は読売と対戦した。田中は第 2 戦と第 6 戦に先発して 2 勝を挙げた。そして第 7 戦、前日に 160 球を投げた田中が 9 回にリリーフとして登板するという衝撃的な場面が訪れた。星野仙一監督の決断により、田中は最後の打者を打ち取り、楽天の球団創設以来初の日本一を決めた。前日 160 球の翌日にリリーフ登板するという起用は、投手の健康管理の観点から批判もあったが、田中自身が志願したとされ、チームの日本一への執念を象徴する場面であった。
ヤンキースでの 7 年間と NPB 復帰
2014 年、田中はポスティングシステムを利用してニューヨーク・ヤンキースに移籍した。7 年総額 1 億 5,500 万ドル (約 160 億円) の大型契約であった。MLB での 7 年間で通算 78 勝 46 敗、防御率 3.74 を記録。2019 年には 11 勝を挙げ、ヤンキースのポストシーズン進出に貢献した。2021 年に楽天に復帰したが、NPB 復帰後は全盛期の投球を取り戻すことができず、2023 年に現役を引退した。NPB 通算 99 勝、MLB 通算 78 勝。合計 177 勝は日本人投手としてトップクラスの記録であり、2013 年の 24 勝 0 敗は永遠に語り継がれる伝説である。