バレンティン 60 本塁打 - 2013 年に王の記録を超えた男

王貞治の 55 本 - 49 年間の壁

王貞治が 1964 年に記録したシーズン 55 本塁打は、NPB の最も神聖な記録の一つであった。49 年間にわたって誰も破ることができず、この記録は「不可侵の領域」とされていた。1985 年にランディ・バース (阪神) が 54 本塁打に迫った際、ジャイアンツ投手陣がバースに対して露骨な敬遠を繰り返し、記録更新を阻止したとされる事件は「55 本の壁」として語り継がれている。2001 年にはタフィ・ローズ (近鉄) とアレックス・カブレラ (西武) がともに 55 本に到達したが、いずれも 55 本で止まった。外国人選手が王の記録を破ることへの抵抗感が球界に存在するのではないかという疑念は、長年にわたって議論の的であった。

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バレンティンの 2013 年シーズン

ウラディミール・バレンティンはオランダ領キュラソー出身の外野手で、2011 年にヤクルトスワローズに入団した。2013 年、バレンティンは開幕から驚異的なペースで本塁打を量産した。前半戦だけで 33 本塁打を記録し、王の記録を上回るペースで推移した。8 月には月間 12 本塁打を放ち、記録更新への期待が高まった。しかし、バレンティンが 55 本に近づくにつれ、一部の投手が勝負を避ける傾向が見られた。四球の数が増加し、「敬遠で記録を守ろうとしているのではないか」という批判がメディアやファンから噴出した。NPB のコミッショナーが正々堂々と勝負するよう異例のコメントを出す事態となった。

56 号から 60 号 - 新記録達成の瞬間

9 月 15 日、バレンティンは神宮球場での対阪神戦で 56 号本塁打を放ち、49 年ぶりに王の記録を更新した。球場は大歓声に包まれ、バレンティンはダイヤモンドを一周した後、ベンチで涙を流した。その後もバレンティンは本塁打を積み重ね、最終的にシーズン 60 本塁打を記録した。打率 .330、131 打点も記録し、本塁打王打点王の二冠に輝いた。60 本塁打は NPB の新記録であり、MLB のロジャー・マリスの 61 本 (1961 年) に迫る数字であった。バレンティンの記録達成は、「外国人選手が日本の記録を破ること」に対する球界の姿勢を問い直す契機ともなった。

60 本塁打の意義と論争

バレンティンの 60 本塁打は、NPB の記録としては正式に認められているが、その評価は分かれる。「王の 55 本は 130 試合制の時代の記録であり、143 試合制の現在と単純比較はできない」という意見がある。また、使用球の違い (2013 年は「飛ぶボール」問題が指摘された年) も議論の対象となった。一方で、バレンティンが正々堂々と記録を打ち立てたことは事実であり、60 本塁打という数字の偉大さは揺るがない。バレンティンの記録は、NPB における外国人選手の貢献と、記録に対する日本野球界の複雑な感情を象徴するエピソードとして、長く記憶されるだろう。MLB での経験は、帰国後の NPB でのプレーにも大きな影響を与え、国際的な視野を持つ選手として後輩たちの手本となった。

バレンティンの経歴とヤクルト入団の背景

ウラディミール・バレンティンは 1984 年生まれ、オランダ領キュラソー出身の右打ち外野手である。2004 年に MLB シアトル・マリナーズでメジャーデビューを果たしたが、マイナーとの往復が続き定着には至らなかった。2007 年にシンシナティ・レッズに移籍した後も出場機会は限られた。2011 年にヤクルトスワローズへ入団し、初年度から 31 本塁打を放って即座に主砲の座を確保した。翻年 2012 年にも 31 本塁打を記録し、日本の投手との対戦に適応する能力を示した。打撃スタイルは体全体を使った豪快なスイングが特徴で、NPB の内角攻めにも動じない精神力を備えていた。フルネームの類似から「バレンタイン」と混同されることがあるが、ロッテを率いたボビー・バレンタイン監督とは全くの別人である。

飛ぶボール問題と 2013 年の打高投低環境

2013 年の NPB はリーグ全体で本塁打数が急増し、「飛ぶボール」問題が大きな論争を巻き起こした。NPB の公式球はミズノ社が製造しているが、2013 年シーズン開幕前に球の反発係数が前年より高く設定されていたことが後に判明した。この事実は公表が遅れ、シーズン途中まで選手やファンに正式に説明されなかった。リーグ全体の本塁打率は前年比で大幅に上昇し、バレンティン以外の打者も軒並み本塁打数を伸ばした。この環境がバレンティンの 60 本塁打を後押ししたことは否定できないが、同じ条件の中で他のどの打者も 60 本に到達できなかった事実もまた重要である。飛ぶボール問題は NPB の公式球管理体制に対する信頼を揺るがし、翌年以降の統一球基準の見直しにつながった。

バレンティンのその後と NPB 外国人打者の系譜

60 本塁打を達成した翌年の 2014 年、バレンティンは故障の影響で 63 試合の出場にとどまり 15 本塁打に終わった。2015 年には復調して 33 本塁打を放ったものの、2013 年の爆発力を取り戻すことはなかった。2019 年にソフトバンクホークスへ移籍し、同年の日本シリーズでは読売を相手に勝利を収める場面もあった。NPB における外国人長距離打者の系譜を振り返ると、1985 年にランディ・バースが 54 本塁打と三冠王を達成し、2001 年にタフィ・ローズとアレックス・カブレラがともに 55 本で並んだ。バレンティンの 60 本はこの系譜の頂点に位置する記録であり、NPB が外国人選手の力なくして語れないリーグであることを改めて示した。