令和の怪物 - 佐々木朗希の登場
佐々木朗希は 2019 年にドラフト 1 位で千葉ロッテマリーンズに入団した。岩手県大船渡高校出身で、高校 3 年の夏に 163km/h を記録して「令和の怪物」と呼ばれた。ただし、大船渡高校の國保陽平監督は甲子園予選の決勝で佐々木を登板させない決断を下し、この判断は賛否両論を巻き起こした。プロ入り後、ロッテは佐々木の育成を慎重に進めた。1 年目は一軍登板なし、2 年目の 2021 年に初登板を果たし、11 試合に登板して 3 勝 2 敗、防御率 2.27 を記録した。160km/h を超える直球と鋭く落ちるフォークボールは、NPB の打者を圧倒する武器であった。そして 3 年目の 2022 年、佐々木は歴史に名を刻む投球を見せる。
2022 年 4 月 10 日 - 完全試合の全記録
2022 年 4 月 10 日、ZOZO マリンスタジアムで行われたロッテ対オリックス戦。佐々木は初回から圧倒的な投球を見せた。160km/h 超の直球とフォークボールを軸に、オリックス打線を完全に封じ込めた。3 回から 7 回にかけて 13 者連続三振を記録し、これは NPB 新記録であった (従来の記録は 1957 年の梶本隆夫と 1958 年の土橋正幸の 9 者連続)。9 回を投げ終えた時点で 27 人の打者を全員アウトにし、NPB 史上 16 人目、28 年ぶりの完全試合を達成した。奪三振数は 19 で、完全試合における奪三振記録としても歴代最多であった。20 歳 5 か月での完全試合達成は、NPB 史上最年少記録である。投球数はわずか 105 球で、効率的な投球が際立った。
翌週の 8 回完全投球と監督の決断
驚くべきことに、佐々木は翌週 4 月 17 日の日本ハム戦でも 8 回まで完全投球を続けた。2 試合連続の完全試合達成が現実味を帯びる中、井口資仁監督は球数制限を理由に 8 回で佐々木を降板させた。この判断は大きな議論を呼んだ。「歴史的記録の達成を見たかった」というファンの声がある一方、「20 歳の投手の将来を守る判断は正しい」という意見も多かった。結果的に、佐々木は 2 試合合計で 17 イニング連続無安打・無走者という前人未到の記録を残した。井口監督の決断は、現代野球における投手の健康管理と記録達成のジレンマを象徴するエピソードとして記憶されている。
MLB への挑戦と佐々木の未来
佐々木は 2024 年シーズン終了後にポスティングシステムで MLB 移籍を表明し、2025 年にロサンゼルス・ドジャースと契約した。25 歳以下の選手に適用されるインターナショナル・ボーナス・プールの制約により、契約金は制限されたが、佐々木は「世界最高の舞台で投げたい」という意志を貫いた。160km/h 超の直球と落差の大きいフォークボールは MLB でも通用する武器であり、大谷翔平、山本由伸に続く日本人投手の MLB での活躍が期待されている。NPB での通算成績は 4 シーズンで 29 勝 15 敗、防御率 2.10。短い在籍期間ながら、完全試合と 13 者連続三振という不滅の記録を残した佐々木朗希は、NPB の歴史に永遠に刻まれる投手である。
13 連続奪三振の技術分析
佐々木朗希が記録した 13 者連続三振の内訳を見ると、その配球の巧みさが浮かび上がる。13 奪三振のうち空振り三振は 10 個、見逃し三振は 3 個であった。決め球はフォークボールが 8 個を占め、残り 5 個は直球で押し切った。フォークボールの落差は平均 45cm に達し、打者はストライクゾーンに入ると判断してスイングを開始した後にボールが急落するため、バットに当てることすら困難であった。直球は平均 158km/h を記録し、初速と終速の差が小さい「伸びる」軌道が特徴で、打者がボールの到達を予測する間もなくキャッチャーミットに収まった。このフォークと直球の二択を迫る投球パターンが、13 者連続という異次元の奪三振を可能にした。
NPB 完全試合の系譜における位置づけ
NPB の完全試合は 1950 年の藤本英雄が最初で、佐々木の達成は 16 人目にあたる。完全試合の間隔を見ると、1994 年の槙原寛己から 2022 年の佐々木まで 28 年の空白があった。この間に NPB は打高投低の時代を経験し、飛ぶボールの導入や球場の狭小化で完全試合の難易度は上がっていた。佐々木以前の最年少記録は 1960 年の島田源太郎の 21 歳 8 か月であり、佐々木は 20 歳 5 か月でこれを更新した。歴代の完全試合達成者は巨人軍 (読売) の投手が 4 名と最多であるが、パ・リーグ所属投手による達成は佐々木を含め 6 名を数える。1 試合 19 奪三振は完全試合としてだけでなく 9 イニング制の投球としても傑出した数字で、圧倒的な奪三振率と制球力を両立した点で佐々木の完全試合は歴代屈指の内容と評価されている。
大船渡高校時代と投手保護の議論
佐々木朗希を語る上で欠かせないのが、大船渡高校時代のエピソードである。2019 年夏の岩手大会決勝で國保陽平監督が佐々木を登板させず、チームは花巻東高校に敗退した。この決断は日本の高校野球における投手酷使の歴史に一石を投じた。1998 年夏の甲子園で横浜高校の松坂大輔が計 250 球以上を投げた伝説や、2006 年夏の駒大苫小牧と早稲田実業の再試合で田中将大と斎藤佑樹が連投した事例は、投手の消耗が美談として語られる文化があったことを示している。國保監督の判断は、プロ入り後の佐々木の成長を見れば結果的に正しかったと評価する声が多い。この一件をきっかけに 2020 年春から高校野球に 1 週間 500 球の球数制限が正式導入され、投手保護の機運が制度として定着した。