球界再編から生まれた東北の球団
2004 年の球界再編問題で近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併が決定した後、NPB は新規参入球団を募集した。IT 企業の楽天 (三木谷浩史社長) とライブドア (堀江貴文社長) が参入を申請し、審査の結果、楽天が選ばれた。2004 年 11 月 2 日、東北楽天ゴールデンイーグルスが正式に承認され、仙台を本拠地とする東北初のプロ野球球団が誕生した。球団名の「ゴールデンイーグルス」は東北地方に生息するイヌワシに由来する。三木谷オーナーは「東北に根ざした球団を作る」と宣言し、IT 企業ならではの先進的な球団経営を目指した。
初年度 38 勝 97 敗の苦闘
2005 年の初年度、楽天は 38 勝 97 敗 1 分という惨憺たる成績に終わった。田尾安志監督のもとで戦ったが、分配ドラフトで獲得した選手の戦力は他球団に大きく劣っていた。近鉄とオリックスの合併に伴う分配ドラフトでは、両球団のプロテクト外の選手が楽天に振り分けられたが、主力級の選手はほとんど含まれていなかった。初年度の観客動員は 1 試合平均約 16,000 人で、東北のファンは弱いチームを温かく応援した。田尾監督は 1 年で解任され、2 年目からは野村克也が監督に就任した。野村は「ID 野球」を掲げてチームの意識改革を進め、徐々に戦力を整えていった。
東日本大震災と復興の象徴
2011 年 3 月 11 日、東日本大震災が東北地方を襲った。楽天の本拠地・仙台も甚大な被害を受け、楽天生命パーク宮城 (当時) も損傷した。選手やスタッフも被災し、チームは一時的に活動を停止した。しかし楽天は「東北のために」を合言葉に、被災地の復興の象徴として戦うことを決意した。嶋基宏選手会長は「見せましょう、野球の底力を」と宣言し、この言葉は被災地に大きな勇気を与えた。2011 年シーズン、楽天は 5 位に終わったが、選手たちが被災地を訪問し、仮設住宅でサイン会を行うなど、野球を通じた復興支援活動を積極的に展開した。
2013 年 - 球団創設 9 年目の日本一
2013 年、星野仙一監督のもとで楽天は球団創設 9 年目にして初のリーグ優勝と日本一を達成した。最大の原動力は田中将大の 24 勝 0 敗という驚異的な成績であった。田中はレギュラーシーズン無敗のまま日本シリーズに臨み、第 2 戦と第 6 戦で勝利投手となった。第 7 戦では前日に 160 球を投げた翌日にリリーフ登板し、最後の打者を打ち取って胴上げ投手となった。日本シリーズは読売を 4 勝 3 敗で下し、仙台の街は歓喜に包まれた。東日本大震災から 2 年半、被災地に日本一の喜びを届けた楽天の優勝は、スポーツが持つ力を証明する出来事であった。三木谷オーナーは東北のファンと一緒に勝ち取った日本一であることを強調した。