「商魂込めて」の文化論 - 11球団が共鳴するアンチ読売の替え歌

原曲「闘魂こめて」の成り立ち

「商魂込めて」を理解するには、まず原曲の歴史を押さえる必要がある。正式名称「巨人軍の歌」、通称「闘魂こめて」は 1963 年に読売ジャイアンツの 3 代目球団歌として制定された。作詞は椿三平 (本名・池田誠一郎)、補作は西條八十、作曲は古関裕而が手がけている。古関裕而は阪神タイガースの「六甲おろし」(1936 年) や中日の旧球団歌「ドラゴンズの歌」、東映の「フライヤーズの歌」も作曲しており、セ・リーグ 6 球団の半数にあたる 3 球団の球団歌を一人の作曲家が担うという異例の状況が生まれた。制定の 2 年後から始まった読売が連覇を重ねた 1965-1973 年の絶頂期と重なったことで、「闘魂こめて」は全国の読売ファンに浸透し、球団歌としての地位を確立した。ラッキーセブンに東京ドームで流れるこの曲は、読売ファンにとっては誇りの象徴であり、同時にアンチ読売にとっては格好の標的となった。

替え歌「商魂込めて」の成立と拡散

「商魂込めて」の正確な発祥時期は不詳だが、歌詞に「ドーム」という語が含まれることから、1988 年の東京ドーム移転以降に成立したと考えられる。X (旧 Twitter) の投稿を遡ると、2011 年頃には替え歌の存在が散見され、歌詞が現在の形に概ね固定化されたのは 2013-2015 年頃とみられる。「闘魂」を「商魂」に、「球は飛ぶ飛ぶ」を「大金で」に置き換え、読売の FA 補強や資金力を皮肉る内容となっている。この替え歌が急速に拡散した背景には、インターネットとスマートフォンの普及がある。動画サイトに球場での合唱映像がアップロードされ、歌詞がまとめサイトや掲示板で共有されることで、球場に足を運ばないファンにも浸透していった。「くたばれ讀賣」という古典的なアンチ読売の掛け声と比べると歴史は浅いが、メロディに乗せて歌えるという特性が拡散力を高めた。

なぜ 11 球団のファンに共鳴するのか

「商魂込めて」が特異なのは、特定の球団のファンだけでなく、読売以外の 11 球団すべてのファンに共有されている点にある。オールスターゲームでは、ラッキーセブンに「闘魂こめて」が流れた瞬間、読売以外の 11 球団のファンが一斉に「商魂込めて」を大合唱するという光景が生まれる。セ・リーグとパ・リーグの垣根を越え、普段は敵同士のファンが一体となる瞬間である。この現象の根底には、日本プロ野球の構造的な問題がある。読売は読売新聞社を親会社に持ち、長年にわたりテレビ中継の優遇、FA 制度を活用した大型補強、ドラフトにおける影響力の行使など、他球団との非対称な関係を築いてきた。「商魂込めて」は単なる悪ふざけではなく、こうした構造への不満が凝縮された表現でもある。また、替え歌という形式自体が参加のハードルを下げている。原曲のメロディを知っていれば誰でも歌えるため、応援団に所属していないライトなファンでも自然に参加できる。敵チームの球団歌を「乗っ取る」という行為そのものが、ファンにとっての連帯感と高揚感を生み出している。

球団の対応と応援文化の境界線

2023 年にコロナ禍の声出し応援が解禁されると、「商魂込めて」の大合唱が改めて問題視されるようになった。阪神タイガースや中日ドラゴンズは公式サイトで「侮辱的な替え歌」の自粛を呼びかけ、阪神 OB の桧山進次郎がポスターで歌唱中止を訴える事態にも発展した。甲子園球場のオーロラビジョンでは試合前やイニング間に注意喚起の映像が流されている。一方で、甲子園球場がビジター応援歌の場内放送を 2018 年に開始した経緯は興味深い。球団内では「闘魂こめて」へのファンの反応が懸念されていたが、「相手チームの歌が甲子園だけ流れないのはファンとして恥ずかしい」という阪神ファン自身の声が後押しとなり、放送開始に至った。NHK や CS 放送、ネット配信の中継では CM が入らないため、マイクが「商魂込めて」の歌声を拾ってしまう「放送事故」もしばしば発生している。応援文化の自由と、対戦相手への敬意の境界線をどこに引くか。この問いは「商魂込めて」に限らず、東京ヤクルトスワローズの「東京音頭」の替え歌問題にも共通する、日本プロ野球の応援文化が抱える構造的な課題である。

作曲者・古関裕而が繋ぐ皮肉な縁

「商魂込めて」をめぐる文化現象には、もう一つの皮肉な側面がある。原曲「闘魂こめて」の作曲者・古関裕而は、ライバル球団である阪神の「六甲おろし」も作曲した人物である。六甲おろしは 1936 年の制定で、闘魂こめてより 27 年も歴史が長い。古関はさらに中日の旧球団歌や東映の球団歌、夏の高校野球の「栄冠は君に輝く」、早稲田大学野球部の「紺碧の空」も手がけており、2023 年に野球殿堂入りを果たしている。作詞者の椿三平 (池田誠一郎) にも意外な縁がある。池田は「闘魂こめて」の入選から 10 年前の 1953 年に、「池田真琴」のペンネームで広島カープの旧球団歌「広島カープの歌」を作詞していた。読売と広島、両球団の球団歌を同一人物が手がけていたという事実は、長らく知られていなかった。読売の球団歌が、読売を揶揄する替え歌として 11 球団のファンに歌い継がれている。その原曲を作った作曲家は、アンチ読売の総本山ともいえる阪神の球団歌も生み出した。プロ野球の応援文化は、こうした歴史の重層性の上に成り立っている。