「平成の怪物」の誕生 - 1998 年甲子園
松坂大輔は 1998 年の甲子園で「平成の怪物」の異名を得た。横浜高校のエースとして春の選抜大会で優勝し、夏の選手権大会でも優勝。春夏連覇を達成した。特に夏の決勝戦では、京都成章高校を相手にノーヒットノーランを達成するという離れ業を演じた。甲子園の決勝戦でノーヒットノーランは史上初の快挙であった。150km/h を超える直球と鋭いスライダーを武器に、高校生離れした投球で全国のファンを魅了した。1998 年のドラフトでは 3 球団が 1 位指名で競合し、西武ライオンズが交渉権を獲得した。松坂の甲子園での投球数は大会通算 767 球に達し、この過酷な登板が後のキャリアに影響を与えたという指摘もある。
西武のエースとして
プロ入り 1 年目の 1999 年、松坂は 16 勝 5 敗、防御率 2.60 を記録し、最多勝と新人王を同時受賞した。高卒 1 年目での最多勝は NPB 史上初の快挙であった。以降、松坂は西武のエースとして君臨し、2001 年には 15 勝、2003 年には 16 勝を挙げた。松坂の投球の特徴は、150km/h 超の直球、鋭く曲がるスライダー、そして「ジャイロボール」と呼ばれた独特の回転の球であった。西武での 8 年間で通算 108 勝 60 敗、防御率 3.30。3 度の最多勝と 3 度の奪三振王を獲得した。MLB での経験は、帰国後の NPB でのプレーにも大きな影響を与え、国際的な視野を持つ選手として後輩たちの手本となった。松坂は西武での 8 年間で 3 度の最多勝と 3 度の奪三振王を獲得した。特に 2001 年の 15 勝は、21 歳での達成であった。
レッドソックスでのワールドシリーズ MVP
2006 年オフ、松坂はポスティングシステムを利用してボストン・レッドソックスに移籍した。入札額は 5,111 万ドル (約 60 億円) という当時の最高額であり、「松坂マネー」として話題を呼んだ。MLB 1 年目の 2007 年は 15 勝 12 敗、防御率 4.40 を記録。そしてポストシーズンでは 2 勝を挙げ、レッドソックスのワールドシリーズ制覇に貢献した。松坂はワールドシリーズ MVP こそ逃したが、日本人投手として初めてワールドシリーズの勝利投手となった。
故障と復活、そして引退
MLB 2 年目以降、松坂は右肘の故障に悩まされた。2011 年にトミー・ジョン手術を受け、長期離脱を余儀なくされた。その後、メッツ、ソフトバンク、中日と渡り歩き、2021 年に西武で現役を引退した。通算成績は NPB で 114 勝 65 敗、MLB で 56 勝 43 敗。NPB と MLB を合わせた 170 勝は、日本人投手としてトップクラスの記録である。甲子園のノーヒットノーランから始まった松坂大輔のキャリアは、日本野球の歴史に深く刻まれている。