初期の野球は「21 点先取」だった
現代の野球ファンにとって「9 回制」は当たり前だが、野球の初期ルールでは試合の長さはイニング数ではなく得点で決まっていた。1845 年にアレクサンダー・カートライトが制定したとされるニッカボッカー・ルールズでは、先に 21 点 (当時は「エース」と呼ばれた) を取ったチームが勝利するルールであった。イニング数に制限はなく、21 点に達するまで試合は続いた。この「得点先取制」は、試合時間が極端に長くなったり短くなったりする問題を抱えていた。投手力が強いチーム同士の対戦では 21 点に達するまでに何十イニングもかかり、打撃力が強いチーム同士では数イニングで試合が終わってしまう。試合時間の予測不可能性は、興行としての野球にとって大きな障害であった。
1857 年の転換 - 「9 イニング制」の誕生
1857 年、全米野球選手協会 (NABBP) の会議で、21 点先取制から 9 イニング制への変更が決定された。この変更の主な動機は、試合時間の標準化であった。9 イニング制であれば、試合の長さはおおむね 2〜3 時間に収まり、観客も選手も予測可能なスケジュールで試合に臨める。なぜ「9」回だったのか。これについては諸説あるが、最も有力な説は「9 人の選手が 1 回ずつ打席に立てる回数」という考え方である。1 チーム 9 人の打者が、1 試合で少なくとも 3 回は打席に立てるようにするには、9 イニングが適切であった。9 人 × 3 打席 = 27 打席。これは 9 イニングで各打者が平均 3 回打席に立つ計算と一致する。ただし、この説を裏付ける公式な記録は残っておらず、「9」が選ばれた正確な理由は歴史の霧の中にある。
7 回制の議論 - 試合時間短縮の切り札
近年、野球の試合時間短縮が世界的な課題となる中で、「7 回制」の導入が議論されることがある。MLB では 2020 年のコロナ禍シーズンにダブルヘッダーの試合を 7 回制で実施した。7 回制は試合時間を約 30 分短縮する効果があり、選手の負担軽減やダブルヘッダーの実施容易化に寄与した。しかし、7 回制の恒久的な導入には強い反対がある。「9 回が野球の本質」という信念は根強く、7 回制は「本物の野球ではない」という批判が多い。NPB では 7 回制の議論はほとんど行われていないが、試合時間の長期化が問題視される中で、将来的に議論が浮上する可能性はある。
アマチュア野球のイニング数 - 7 回が標準の世界
プロ野球は 9 回制だが、アマチュア野球では 7 回制が広く採用されている。アメリカの高校野球は 7 回制であり、大学野球は 9 回制である。日本の高校野球 (甲子園) は 9 回制だが、地方大会の一部では 7 回制が採用されることもある。少年野球では 6 回制や 5 回制も一般的である。アマチュア野球で 7 回制が採用される理由は、選手 (特に投手) の体力的な負担を考慮してのことである。成長期の選手に 9 イニングの試合を強いることは、肩や肘への過度な負担につながる。7 回制は、競技としての完成度と選手の健康のバランスを取る妥協点として機能している。
「9」という数字の偶然と必然
野球における「9」は、選手数 (9 人)、イニング数 (9 回)、守備位置 (9 つ) と、複数の要素に共通して現れる。これは偶然ではなく、9 人制が先に決まり、それに合わせてイニング数や守備位置が設計された結果である。しかし、なぜ「9 人」だったのかについても、明確な根拠は残っていない。初期の野球では 8 人や 10 人でプレーされることもあり、9 人が標準化されたのは 1840 年代から 1850 年代にかけてのことである。一説には、当時のクラブチームのメンバー数が 9 人前後であったことが影響しているとされる。つまり、野球の「9」は論理的な必然ではなく、歴史的な偶然の産物である可能性が高い。しかし、170 年以上にわたって変更されることなく維持されてきた「9」は、もはや偶然を超えて野球の DNA に組み込まれている。
9 回制は永遠に続くのか
野球の 9 回制が変更される日は来るのだろうか。現時点では、プロ野球の 9 回制を変更する具体的な動きはない。しかし、野球の歴史を振り返れば、「不変」と思われていたルールが変更された例は数多くある。DH 制の導入、リプレー検証の導入、申告敬遠の導入、ピッチクロックの導入。いずれも「野球の本質を損なう」と批判されながらも、最終的には受け入れられた。9 回制も、試合時間短縮の圧力が十分に高まれば、変更の対象になりうる。ただし、9 回制の変更は他のルール変更とは次元が異なる。9 回は野球のアイデンティティそのものであり、これを変えることは「野球を野球でなくする」という批判を免れない。21 点先取制から 9 回制に変わった 1857 年の決定は、野球の歴史における最も重要なルール変更の一つであった。次に同等の変更が行われるとすれば、それは野球というスポーツの根本的な再定義を意味するだろう。