始球式で打者が空振りする「暗黙のルール」はいつ生まれたのか

始球式の打者は「必ず」空振りする

NPB の始球式を注意深く見ると、打者が必ず空振りしていることに気づく。ゲストが投じたボールがストライクゾーンのど真ん中に来ても、打者はバットを振って空を切る。ワンバウンドの球でも、大きく外れた球でも、打者はスイングの動作をする。これは公式ルールではなく、暗黙の了解として定着した慣習である。打者が始球式の球を打ち返したら、ゲストに対して失礼にあたる。ゲストの投球を「受け入れる」ことが、始球式における打者の役割なのである。

始球式の起源 - アメリカ大統領の投球

始球式 (Ceremonial First Pitch) の起源は、1910 年にウィリアム・ハワード・タフト大統領がワシントン・セネタースの開幕戦で投球したことに遡るとされる。大統領が観客席からグラウンドにボールを投げ入れたこの行為が、始球式の原型となった。日本では、1908 年に大隈重信 (早稲田大学創設者、後の首相) が早慶戦で始球式を行ったのが最初とされる。大隈の投球は大きくそれたが、打者を務めた選手がわざと空振りをして「ストライク」にした。この逸話が、日本における「始球式では空振りする」慣習の起源として語られている。ゲストの面目を潰さないために空振りする。この配慮が、100 年以上にわたって受け継がれてきたのである。

空振りの「演技力」- プロ選手の見せ場

始球式での空振りは、単にバットを振るだけではない。プロの打者は、あたかも本気で打ちにいったかのような「自然な空振り」を演じる。ゲストの投球がストライクゾーンに入った場合、わざとらしく空振りすると逆に失礼になるため、本気のスイングに見せかけつつ微妙にタイミングをずらす技術が求められる。一方、ゲストの投球が大きく外れた場合は、明らかに届かない球に対してフルスイングするコミカルな演技が求められる。いずれの場合も、打者は「ゲストの投球を盛り上げる」という役割を果たしている。始球式の空振りは、プロ選手のエンターテインメント能力が試される場面でもあるのだ。

始球式で「打ってしまった」事件

暗黙のルールに反して、始球式の球を打ってしまった事例も存在する。最も有名なのは、ゲストの投球があまりにも見事なストライクだったため、打者が反射的にバットを出してしまったケースである。プロの打者にとって、ストライクゾーンに来た球を見逃すことは本能に反する行為であり、体が勝手に反応してしまうことがある。打ってしまった場合、球場は一瞬凍りつくが、すぐに笑いに変わることが多い。ゲストが「プロに打たれるほどの球を投げた」と解釈されれば、むしろ名誉になる。しかし、ゲストが著名人や政治家の場合、打ち返すことは「相手の顔を潰す」行為と見なされるリスクがあり、打者は細心の注意を払う。

MLB との違い - アメリカでは打者がいない

興味深いことに、MLB の始球式では打者が打席に立たないことが多い。ゲストがマウンドから (またはマウンド付近から) 捕手に向かって投球し、捕手が捕球して終了。打者は不在である。つまり、「空振り」という演出自体が存在しない。日本の始球式が「投手 (ゲスト) vs 打者 (選手)」という対決の形式を取るのに対し、MLB の始球式は「投手 (ゲスト) → 捕手 (選手)」という一方向の形式である。この違いは、始球式に対する文化的な位置づけの差を反映している。日本では始球式が「試合の一部」として演出されるのに対し、MLB では「試合前のセレモニー」として位置づけられている。

空振りに込められた「おもてなし」

始球式の空振りは、日本文化における「おもてなし」の精神の表れである。ゲストが投じた球を打ち返さないことは、ゲストの投球を「受け入れる」行為であり、ゲストに恥をかかせないための配慮である。この配慮は、日本社会における「相手の面目を立てる」という価値観と深く結びついている。茶道で客が亭主の点てた茶を残さず飲むように、始球式で打者がゲストの球を打たないことは、一種の礼儀作法なのである。100 年以上前の大隈重信の始球式から始まったこの慣習は、野球というスポーツの中に日本文化の礼節が溶け込んだ美しい例である。空振りは、野球における最も優雅な「嘘」なのかもしれない。