NPB クローザーの進化史 - 江夏の 21 球からサファテの 54 セーブへ

クローザー以前の時代

NPB でクローザーという役割が確立される以前、リリーフ投手の起用は流動的だった。1970 年代までは先発投手が完投するのが当たり前であり、リリーフ投手は「先発できない投手」という位置づけだった。転機となったのは 1979 年の日本シリーズにおける江夏豊の「21 球」である。広島のリリーフとして登板した江夏が、近鉄の猛攻を 21 球で凌いだこの場面は、リリーフ投手の価値を日本中に知らしめた。この出来事が NPB におけるクローザーの概念の萌芽となった。

佐々木主浩の確立

NPB でクローザーの地位を確立したのは、1990 年代の佐々木主浩 (横浜) である。佐々木は 1998 年に 45 セーブ、防御率 0.64 という驚異的な成績を残し、横浜の日本一に貢献した。佐々木の成功により、NPB では「9 回は絶対的なクローザーに任せる」という戦術が定着した。佐々木以降、岩瀬仁紀 (中日)、藤川球児 (阪神)、馬原孝浩 (ソフトバンク) といった専門クローザーが各球団に登場し、クローザーの年俸も飛躍的に上昇した。

クローザーの関連書籍は Amazon で探せます

セーブ記録の変遷

NPB のシーズンセーブ記録は時代とともに更新されてきた。佐々木主浩の 45 セーブ (1998) は長年の記録だったが、2005 年に岩瀬仁紀が 46 セーブで更新。その後、サファテ (ソフトバンク) が 2017 年に 54 セーブという驚異的な記録を樹立した。54 セーブは NPB 記録であり、MLB のフランシスコ・ロドリゲスの 62 セーブ (2008) に次ぐ世界的にも高い水準である。通算セーブ記録は岩瀬仁紀の 407 セーブが NPB 最多であり、今後破られることは極めて難しい。

セーブ記録の書籍も参考になります

現代のクローザー像

現代の NPB のクローザーは、150km/h 超の直球と決め球の変化球を持つパワー型が主流である。しかし、高津臣吾のシンカーや岩瀬仁紀のスライダーのように、球速に頼らない技巧派クローザーも成功している。クローザーに求められる資質は、球速や球種だけでなく、プレッシャーに打ち勝つメンタルの強さである。9 回のマウンドは NPB で最もプレッシャーのかかる場所であり、そこで結果を出し続けるクローザーは、チームにとって何物にも代えがたい存在である。