球場テクノロジーの進化 - 観戦体験を変えるスマートスタジアム

スコアボードからビジョンへ

NPB の球場における映像技術の進化は、手動式スコアボードから始まった。 1960 年代まで、得点表示はスコアボード裏で係員が手作業で数字板を入れ替える方式であった。 1970 年代に電光掲示板が導入され、 1985 年の西武球場 (現ベルーナドーム) のダイヤモンドビジョン設置が、大型映像装置の先駆けとなった。その後、ブラウン管方式から LED 方式への転換が進み、 2010 年代には 4K 対応の超高精細ビジョンが登場した。現在の NPB 球場で最大級のビジョンを誇るのは、 2023 年に開業したエスコンフィールド HOKKAIDO である。メインビジョンの面積は約 600 平方メートルに達し、試合映像だけでなく、リアルタイムのデータ表示やエンターテインメントコンテンツの配信にも活用されている。注目すべきは、ビジョンの役割が「情報表示」から「演出装置」へと拡大している点である。イニング間の映像演出、ホームラン時の特殊エフェクト、観客参加型のインタラクティブコンテンツなど、ビジョンは球場の雰囲気づくりに不可欠な要素となっている。

通信インフラとキャッシュレス化の波

スマートスタジアムの基盤となるのが、高速通信インフラの整備である。その結果、 3 万人から 4 万人の観客が同時にスマートフォンを使用する球場では、通常の携帯電話回線だけでは通信が逼迫する。 NPB の主要球場では 2018 年頃から高密度 Wi-Fi の整備が進み、 2023 年時点では全 12 球場で無料 Wi-Fi が利用可能となっている。 5G の導入も始まっており、 PayPay ドームでは 2020 年から 5G エリアが設置され、多視点映像のリアルタイム配信実験が行われた。通信環境の整備と並行して進んだのが、球場内のキャッシュレス化である。エスコンフィールド HOKKAIDO は開業時から完全キャッシュレスを採用し、現金での支払いを一切受け付けない方針を打ち出した。この決断は賛否を呼んだが、売店の回転率向上と待ち時間の短縮という明確な効果をもたらした。他の球場でもキャッシュレス比率は年々上昇しており、 2024 年シーズンでは NPB 全体のキャッシュレス決済比率が 60% を超えたとされる。モバイルオーダーシステムの導入により、座席から飲食を注文し、指定の受取場所で受け取るサービスも拡大している。

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AR ・ VR が拓く新しい観戦体験

球場テクノロジーの最前線に位置するのが、 AR (拡張現実) と VR (仮想現実) を活用した観戦体験の革新である。 NPB では 2022 年頃から AR 技術を活用した観戦サービスの実証実験が始まった。スマートフォンのカメラをグラウンドに向けると、投球の軌道や打球の速度がリアルタイムで画面上に表示される AR アプリが開発されている。ソフトバンクホークスは PayPay ドームで「スーパースタジアム」構想を推進し、 AR グラスを装着した観戦体験の提供を目指している。 VR 技術は、球場に来られないファンへのリモート観戦サービスとして注目されている。 360 度カメラで撮影した試合映像を VR ヘッドセットで視聴することで、自宅にいながら球場の臨場感を味わえるサービスが試験的に提供されている。さらに先進的な取り組みとして、自由視点映像技術がある。球場に設置された数十台のカメラ映像を合成し、視聴者が任意の角度から試合を観ることができる技術で、 NTT と NPB の共同実験が進行中である。この技術が実用化されれば、「投手の背後から見る」「打者の目線で見る」といった、従来不可能だった視点での観戦が可能になる。

スマートスタジアムの課題と NPB …

球場テクノロジーの進化は観戦体験を豊かにする一方で、いくつかの課題も浮き彫りにしている。第一に、デジタルデバイドの問題がある。高齢のファンやデジタル機器に不慣れな層にとって、キャッシュレス化やアプリ依存のサービスはハードルが高い。エスコンフィールドの完全キャッシュレス化に対しては、高齢者団体から改善要望が出されている。第二に、テクノロジーへの過度な依存がもたらす「観戦の本質」の希薄化への懸念がある。スマートフォンの画面を見続ける観客が増え、目の前のプレーを直接観る体験が損なわれているという指摘は、 MLB でも NPB でも共通している。第三に、球場間のテクノロジー格差の問題がある。エスコンフィールドや PayPay ドームのような最新鋭の球場と、築 30 年以上の老朽化した球場では、提供できるサービスに大きな差がある。 NPB の今後の課題は、テクノロジーを「目的」ではなく「手段」として位置づけ、野球観戦の本質的な魅力を増幅させる方向で活用することである。最先端の技術と、球場で生の野球を観る原初的な喜びをいかに両立させるかが、スマートスタジアムの真の成功を左右する。

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参考文献

  1. 日経アーキテクチュア「エスコンフィールド HOKKAIDO の全貌 - 球場建築の新基準」日経 BP、2023-04-10
  2. ITmedia「プロ野球のスマートスタジアム化 - DX が変える観戦体験」アイティメディア、2023-08-22
  3. ソフトバンクホークス「PayPay ドーム スーパースタジアム構想 - テクノロジーで進化する観戦」福岡ソフトバンクホークス、2022-11-15
  4. NTT 広報「自由視点映像技術と NPB の共同実験 - 新しい野球観戦の形」日本電信電話、2024-01-20