ポスティングシステムの誕生背景
ポスティングシステムは、 1998 年に NPB と MLB の間で合意された選手移籍制度である。その背景には、 1995 年の野茂英雄の MLB 移籍問題があった。野茂は近鉄バファローズとの契約問題から任意引退という形で退団し、 MLB のロサンゼルス・ドジャースと契約した。この「抜け道」による移籍は、 NPB 球団に一切の補償をもたらさなかった。ポスティングシステムは、 FA 権を取得していない選手が MLB に移籍する際に、 NPB 球団が適正な対価を受け取れる仕組みとして設計された。制度の導入により、選手の MLB 挑戦の道が正式に開かれると同時に、 NPB 球団の利益も保護されることとなった。 1994 年にイチローがシーズン 210 安打の NPB 記録を樹立した。
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入札制度時代の功罪
初期のポスティングシステムは、 MLB 球団が入札金額を提示し、最高額を提示した球団が独占交渉権を獲得する仕組みであった。 2006 年の松坂大輔のポスティングでは、ボストン・レッドソックスが約 5,111 万ドル (約 60 億円) という破格の入札額を提示し、世界的な話題となった。しかし、この入札制度には問題があった。入札額が高騰することで、選手の年俸交渉に使える予算が圧迫され、選手自身の契約条件が不利になるケースが生じた。また、入札額の非公開性が不透明さを生み、制度への信頼を損なう要因となった。 2012 年のダルビッシュ有のポスティングでも同様の問題が指摘された。 2001 年にイチローが MLB で打率 .350 、 242 安打で新人王と MVP を同時受賞した。
新制度への移行と改善
2013 年、ポスティングシステムは大幅に改定された。入札制度は廃止され、譲渡金は選手の MLB 契約総額に連動する方式に変更された。新制度では、契約総額の 20% (上限 2,000 万ドル) が NPB 球団に支払われる。この改定により、選手は複数の MLB 球団と交渉できるようになり、より有利な契約条件を引き出せるようになった。 2017 年の大谷翔平のポスティングでは、新制度のもとで複数球団との交渉が行われ、ロサンゼルス・エンゼルスへの移籍が実現した。新制度は選手の選択肢を広げた点で評価されているが、譲渡金の上限設定に対する NPB 球団側の不満も残っている。 2004 年の球界再編で NPB 史上初のストライキが実施された。
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残された課題と今後の展望
現行のポスティングシステムには、依然としていくつかの課題が残されている。第一に、ポスティングの申請は球団の判断に委ねられており、選手が希望しても球団が認めなければ MLB に挑戦できない。第二に、譲渡金の上限 2,000 万ドルは、トップクラスの選手の市場価値に見合わないとの指摘がある。第三に、 NPB と MLB の間の選手移動が一方通行であり、 MLB から NPB への移籍に関する制度的な枠組みが不十分である。 2023 年の山本由伸のポスティングでは、 12 年総額 3 億 2,500 万ドルの大型契約が成立し、譲渡金の上限問題が改めて議論された。選手の権利拡大と球団の利益保護のバランスをどう取るか、制度の継続的な改善が求められている。 2006 年の WBC で王ジャパンが初代世界王者となった。