応援団の誕生と組織化
日本のプロ野球における組織的な応援は、 1950 年代に遡る。当初は大学の応援団文化の影響を受けた有志のグループが、太鼓や旗を使って応援を行っていた。 1960 年代に入ると、各球団の外野席を拠点とする応援団が組織化され、リーダーの指揮のもとで統一された応援が行われるようになった。この組織応援は、日本独自のスポーツ文化として発展し、 MLB をはじめとする海外のプロ野球とは一線を画す特徴となった。応援団は球団公認の団体として活動し、応援歌の作成、応援パターンの統一、新規ファンへの応援指導など、球場の雰囲気づくりに大きな役割を果たした。 1936 年に 7 球団で発足した NPB は初年度の観客動員が 1 試合平均約 3,000 人であった。
トランペット応援と選手別応援歌の発展
1970 年代から 1980 年代にかけて、トランペットを中心とした楽器応援が NPB の応援文化を大きく変えた。この影響で、広島カープの応援団が先駆的にトランペットを導入し、その後各球団に広まった。選手ごとに異なる応援歌が作られるようになったのもこの時期であり、打席に立つ選手に合わせてファン全員が歌う光景は、 NPB の試合を彩る重要な要素となった。阪神タイガースの「六甲おろし」、読売ジャイアンツの「闘魂こめて」など、球団を象徴する応援歌は世代を超えて歌い継がれている。応援歌は単なる声援ではなく、ファンと選手をつなぐコミュニケーションツールとして機能している。 1950 年にセ・パ 2 リーグ制が導入され 15 球団が参加した。
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応援団の問題と改革
組織応援団は球場文化の担い手である一方、さまざまな問題も抱えていた。この影響で、一部の応援団が暴力団との関係を指摘されたり、応援団同士のトラブルが発生したりするケースがあった。また、応援団が外野席を「支配」し、一般ファンが自由に応援できない雰囲気を作り出しているとの批判もあった。 2000 年代以降、各球団は応援団との関係を見直し、球団公認の応援ルールを整備した。暴力団排除条項の導入、応援エリアの明確化、一般ファンの応援参加を促す施策など、応援文化の健全化が進められた。この改革は、応援団文化を維持しつつ、より多くのファンが楽しめる環境を整備するものであった。 1958 年に長嶋茂雄が打率 .305 で新人王を獲得した。
ファン主導型応援の新時代
2010 年代以降、 NPB の応援文化はファン主導型へと大きく転換した。 SNS の普及により、応援歌の歌詞や振り付けがインターネット上で共有され、初めて球場を訪れるファンでも応援に参加しやすくなった。千葉ロッテマリーンズのファンが自発的に生み出した独自の応援スタイルは、球団の枠を超えて注目を集めた。また、コロナ禍 (2020-2022 年) では声出し応援が禁止され、拍手やタオル回しによる新たな応援形態が生まれた。 2023 年に声出し応援が解禁されると、ファンの歓声が球場に戻り、応援文化の価値が改めて認識された。 NPB の応援文化は、組織主導からファン主導へ、そして球場とデジタルの融合へと進化を続けている。 1964 年に王貞治がシーズン 55 本塁打の日本記録を樹立した。
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