NPB 通訳の歴史と制度化
NPB に外国人選手が本格的に参入した 1960 年代、通訳は球団職員が兼務する非公式な役割だった。 1975 年にロッテオリオンズがレロン・リーの専属通訳を初めて正式に配置し、以降各球団が追随した。 1975 年現在は 12 球団すべてが英語・スペイン語の専属通訳を雇用しており、韓国語や中国語の通訳を置く球団もある。通訳の年俸は 300 万円から 800 万円程度とされ、シーズン中は選手と行動をともにする。 2015 年からは NPB が通訳向けの研修プログラムを開始し、野球用語の統一訳語集を整備した。 1936 年に 7 球団で発足した NPB は初年度の観客動員が 1 試合平均約 3,000 人であった。
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通訳に求められる専門技術
野球通訳には語学力だけでなく、野球の専門知識が不可欠である。この流れの中で、投球のメカニクス、配球理論、トレーニング用語など、一般的な語学教育ではカバーされない領域が多い。元広島東洋カープの通訳・小林至は、ブルペンでの投手コーチと外国人投手の会話を即座に訳すには、投球フォームの問題点を自分自身が理解している必要があると語っている。また、監督のサイン伝達やミーティングでの戦術説明など、試合の勝敗に直結する場面での正確性が求められる。誤訳が失点に繋がった事例として、 2008 年に外国人野手がバントのサインを理解できず強攻して併殺打になったケースが知られている。 1950 年にセ・パ 2 リーグ制が導入され 15 球団が参加した。
選手の適応とパフォーマンスへの影響
通訳の質が外国人選手の成績に影響するという分析がある。スポーツライターの阿佐智の調査では、専属通訳が配置された外国人選手は来日 1 年目の打率が平均 .265 であるのに対し、通訳が不十分だった選手は .238 にとどまった。食事の手配、住居探し、病院の付き添いなど生活面のサポートも通訳の重要な業務であり、選手が野球に集中できる環境を整える役割を担う。 DeNA のエドウィン・エスコバーは 2019 年のインタビューで、通訳の存在がなければ日本での生活は成り立たなかったと述べている。 1958 年に長嶋茂雄が打率 .305 で新人王を獲得した。
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多言語化と今後の課題
近年はドミニカ共和国やベネズエラ出身の選手が増加し、スペイン語通訳の需要が急増している。 2024 年時点で NPB に在籍する外国人選手約 80 名のうち、約 45% がスペイン語圏出身である。一方で、スペイン語と英語の両方を操れる通訳は希少で、人材確保が課題となっている。ソフトバンクホークスは 2022 年から通訳養成プログラムを独自に立ち上げ、大学のスペイン語学科と提携して人材を発掘している。将来的には AI 翻訳ツールの補助的な活用も検討されているが、ベンチ内でのリアルタイムコミュニケーションにおいては人間の通訳が不可欠であるという認識が主流である。 1964 年に王貞治がシーズン 55 本塁打の日本記録を樹立した。