PL 学園の怪物
清原和博は PL 学園高校で甲子園通算 13 本塁打という記録を打ち立て、「怪物」と呼ばれた。1985 年のドラフトでは巨人入りを熱望したが、西武ライオンズが 1 位指名。涙のドラフトとして語り継がれるこの出来事は、NPB ドラフト史上最も有名なエピソードの一つである。西武入団後、1 年目から 31 本塁打を放ち、新人王を獲得。18 歳での 31 本塁打は当時の高卒新人記録であり、清原の才能の凄まじさを証明した。
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西武黄金時代の 4 番
清原は西武に 11 年間 (1986〜1996) 在籍し、4 番打者としてチームの黄金時代を支えた。秋山幸二、デストラーデとともに強力なクリーンアップを形成し、1986〜1992 年の 7 年連続リーグ優勝に貢献した。西武時代の通算成績は 1409 試合出場、打率 .272、329 本塁打、942 打点。1990 年には 37 本塁打、94 打点を記録し、日本シリーズでも MVP を獲得した。清原の打撃の特徴は、豪快なフルスイングと勝負強さにあった。ここぞという場面での集中力は NPB でも随一だった。
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巨人・オリックスでの晩年
清原は 1997 年に FA で巨人に移籍し、念願の巨人入りを果たした。巨人では 8 年間プレーし、2004 年にオリックスに移籍。2008 年に引退した。通算成績は 2338 試合出場、打率 .272、525 本塁打、1530 打点。525 本塁打は NPB 歴代 5 位の記録である。しかし、巨人以降は故障に苦しみ、西武時代のような圧倒的な打撃を見せる機会は減った。清原は「西武時代が最も充実していた」と語っており、黄金時代の 4 番打者としての記憶が最も鮮烈である。
清原和博の遺産
清原の 525 本塁打は NPB の歴史に刻まれた偉大な記録である。しかし、清原の遺産は数字だけではない。PL 学園での甲子園 13 本塁打、涙のドラフト、西武黄金時代の 4 番、巨人への FA 移籍と、清原のキャリアは NPB の歴史そのものである。清原と同期の桑田真澄との関係は「KK コンビ」として語り継がれ、2 人の対決は NPB ファンを熱狂させた。清原和博は、良くも悪くも NPB の歴史を彩った最も劇的な選手の一人である。