沢村賞 2 回の右腕
斉藤和巳は 1996 年にドラフト 1 位でダイエーホークスに入団した。長い下積みを経て 2003 年に 20 勝 3 敗、防御率 2.83 という圧倒的な成績を残し、沢村賞を受賞した。2006 年にも 18 勝 5 敗、防御率 1.75 で 2 度目の沢村賞を獲得。防御率 1.75 は 2000 年代の NPB で最高の数字であり、斉藤の投球がいかに圧倒的だったかを物語っている。通算 79 勝 23 敗、防御率 2.72。勝率 .775 は NPB 歴代トップクラスの数字である。
圧倒的な投球
斉藤の武器は 150km/h 超の直球とフォークボール、スライダーの組み合わせだった。特に直球の球威は NPB でも屈指であり、打者は「分かっていても打てない」と口を揃えた。2003 年の 20 勝シーズンでは、完投 8 回、完封 4 回を記録し、先発投手としての圧倒的な支配力を見せた。2006 年のシーズンでは防御率 1.75 に加え、奪三振率も高く、NPB 最高の投手と評された。斉藤の投球は MLB のペドロ・マルティネスの全盛期に匹敵すると評する声もあった。
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故障との戦い
斉藤のキャリアは 2007 年に暗転した。右肩の故障が深刻化し、2007 年以降は一軍での登板がほぼなくなった。手術とリハビリを繰り返したが、全盛期の投球を取り戻すことはできず、2013 年に引退した。2007 年から引退までの 7 年間で一軍登板はわずか数試合。全盛期の斉藤を知るファンにとって、これほど歯がゆいことはなかった。もし故障がなければ、斉藤は通算 200 勝を達成し、NPB 史上最高の投手の一人になっていた可能性が高い。
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斉藤和巳の遺産
斉藤の通算成績は 79 勝 23 敗にとどまるが、その勝率 .775 と防御率 2.72 は、NPB の歴史において最も効率的な投手であったことを示している。斉藤の悲運は、プロ野球選手の故障リスクの深刻さを改めて認識させた。ホークスは斉藤の故障を教訓に、投手の肩肘の管理を強化し、球数制限や登板間隔の管理を徹底するようになった。斉藤和巳は「もし」を語らせる投手であり、その全盛期の投球は NPB ファンの記憶に永遠に刻まれている。