遅咲きのエース
能見篤史は 2004 年に自由獲得枠で阪神に入団したが、一軍に定着するまでに 4 年を要した。社会人野球の大阪ガスから入団した即戦力左腕として期待されたが、プロの打者への適応に苦しんだ。転機は 2008 年で、先発ローテーションに定着して 8 勝を挙げた。2009 年には 13 勝 9 敗、防御率 2.84 を記録し、阪神のエースとして覚醒した。30 歳を過ぎてからエースに成長するケースは NPB でも珍しく、能見の遅咲きのキャリアは多くの若手投手に希望を与えた。MLB でもランディ・ジョンソンが 30 代で全盛期を迎えた例があり、左腕投手は遅咲きの傾向があるとされる。
投球術の進化
能見の武器は 140km/h 台後半の直球とスライダー、チェンジアップの組み合わせだった。球速は NPB の左腕としては標準的だが、投球の組み立てと制球力で打者を抑えた。特にスライダーの切れ味は NPB 屈指で、左打者の被打率を .200 以下に抑えるシーズンが複数あった。能見は年齢を重ねるごとに投球術を進化させ、2012 年には 12 勝、2013 年には 11 勝を記録した。2013 年の WBC (ワールド・ベースボール・クラシック) では日本代表に選出され、国際舞台でも実力を発揮した。阪神在籍 17 年間で通算 93 勝 79 敗、防御率 3.42 を記録した。
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阪神からオリックスへ
能見は 2020 年に阪神を退団し、2021 年にオリックスに移籍した。37 歳での移籍だったが、オリックスではリリーフとして新たな役割を担った。2021 年のオリックスのリーグ優勝に貢献し、ベテランの経験を若いチームに還元した。2022 年に現役を引退し、38 歳でのキャリア終了となった。阪神とオリックスの両方でプレーした能見は、関西の野球ファンに広く愛された。引退後はオリックスのコーチを務め、若手投手の育成に携わっている。
能見篤史の教訓
能見のキャリアは「諦めなければ道は開ける」という教訓を体現している。入団から 4 年間は一軍で結果を出せず、戦力外通告の危機もあったとされる。しかし、ファームで投球フォームを改良し、制球力を磨き続けた結果、30 歳でエースの座を掴んだ。能見は「プロ野球は才能だけの世界ではない。努力を続けられる人間が最後に勝つ」と語っている。阪神の投手育成において、能見の事例は「すぐに結果が出なくても、長い目で育てる」という方針の根拠となっている。2023 年の優勝を支えた村上頌樹もドラフト 5 位からの遅咲きであり、能見の系譜に連なる存在である。