MLB で芽が出なかった男
ランディ・バースは 1954 年米国オクラホマ州に生まれ、 MLB で通算 130 試合に出場したが、打率 .210、9 本塁打と目立った成績を残せなかった。ミネソタ・ツインズ、モントリオール・エクスポズ、サンディエゴ・パドレス、テキサス・レンジャーズと 4 球団を渡り歩いた末、1983 年に阪神タイガースに入団した。当時 29 歳のバースに大きな期待を寄せるファンは少なかった。しかし、NPB の投手との相性は抜群だった。バースは来日 1 年目から打率 .326、35 本塁打を記録し、阪神ファンの度肝を抜いた。MLB では通用しなかった打者が NPB で歴史的な成績を残す典型例であり、日米の野球スタイルの違いを象徴するケースである。
1985-86 年の 2 年連続三冠王
バースは 1985 年に打率 .350、54 本塁打、134 打点で三冠王を獲得した。54 本塁打は王貞治のシーズン記録 55 本に迫る数字で、日本シリーズでは MVP に輝き、シーズン終盤には記録更新が注目された。しかし、巨人戦で敬遠が相次ぎ、記録達成はならなかった。この敬遠は「王の記録を守るための忖度」として物議を醸した。翌 1986 年はさらに凄まじく、打率 .389、47 本塁打、109 打点で 2 年連続三冠王を達成した。 2 年連続三冠王は NPB 史上バースのみが達成した偉業である。打率 .389 は NPB 歴代最高記録であり、40 年近く経った現在も破られていない。2 年間の合計で打率 .369、101 本塁打、243 打点という数字は、NPB 史上最も支配的な 2 年間と言える。
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バースの打撃技術
バースの打撃の特徴は、卓越した選球眼とバットコントロールにあった。1986 年の四球数は 104 で、三振数 59 を大きく上回っている。出塁率 .515 、 OPS 1.292 は現代のセイバーメトリクスの観点からも圧倒的な数値であり、打者としての規律の高さを示す数字である。バースは甲子園球場の浜風を味方につけ、レフト方向への打球を意識的に増やした。左打者のバースにとって、ライトからレフトに吹く浜風は打球を伸ばす追い風となった。また、バースは NPB の投手が多用するスライダーやカーブへの対応力が高く、変化球を逆方向に流し打つ技術に長けていた。MLB のテッド・ウィリアムズが「打撃の科学」を追求したように、バースも理論的なアプローチで NPB の投手を攻略した。
突然の退団と伝説化
バースは 1988 年シーズン途中に、息子の重病を理由に緊急帰国し、そのまま退団した。阪神での通算成績は 5 年間で打率 .337、202 本塁打、486 打点。在籍期間は短かったが、その衝撃は NPB 史上最大級である。バースの退団後、阪神は長い暗黒時代に突入し、ファンの間では「バースがいれば」という嘆きが繰り返された。バースは 2024 年に NPB の野球殿堂 (特別表彰) に選出され、その功績が正式に認められた。バースの .389 は野球における究極の打撃記録の一つであり、この数字が破られる日は来ないかもしれない。