ドラフト 4 位からの快進撃
赤星憲広は 2000 年のドラフト 4 位で阪神に入団した。亜細亜大学から JR 東日本を経て入団した社会人出身の外野手で、身長 170cm、体重 66kg と小柄な体格だった。しかし、50m 走 5.7 秒の俊足を武器に 1 年目から一軍に定着。2001 年に 39 盗塁を記録して盗塁王を獲得し、以降 2005 年まで 5 年連続で盗塁王に輝いた。5 年連続盗塁王は福本豊の 13 年連続に次ぐ記録であり、セ・リーグでは歴代最長である。通算 381 盗塁、盗塁成功率は約 82% と極めて高く、走塁の質でも NPB トップクラスだった。MLB のリッキー・ヘンダーソンのような圧倒的な盗塁数ではないが、成功率の高さは赤星の技術の証明である。
盗塁技術の秘密
赤星の盗塁成功率の高さは、スタートの速さと投手の癖を見抜く観察力に支えられていた。赤星は投手のセットポジションでの微妙な動きの変化を読み取り、投球と牽制を判別する能力に長けていた。一塁からのリード幅は約 3.5m と標準的だったが、スタートの反応速度が 0.3 秒以下と極めて速かった。また、赤星はヘッドスライディングを多用し、到達時間を 0.1〜0.2 秒短縮する技術を持っていた。2003 年の優勝シーズンには 61 盗塁を記録し、1 番打者として出塁率 .367 を記録。赤星の出塁と盗塁がチームの得点パターンの核となった。 2005 年のリーグ優勝時にも 60 盗塁を記録し、 2 度の優勝に 1 番打者として貢献した。
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早すぎた引退
赤星は 2009 年に 33 歳で現役を引退した。引退の原因は頸椎の故障である。2009 年 9 月の試合でダイビングキャッチを試みた際に頸椎を損傷し、医師から「次に同様の衝撃を受けると半身不随になる可能性がある」と告げられた。赤星は即座に引退を決断した。通算 9 年間のキャリアは短かったが、その間に 5 度の盗塁王、6 度のゴールデングラブ賞を獲得した。引退会見で赤星は「野球ができなくなることより、日常生活ができなくなることの方が怖い」と語り、ファンの涙を誘った。もし故障がなければ通算 500 盗塁も視野に入っていただけに、惜しまれる引退だった。
赤星の遺産
赤星は引退後、解説者として活動しながら、盗塁や走塁の技術を後進に伝えている。阪神の近本光司は赤星の後継者と呼ばれ、2023 年に 30 盗塁を記録して優勝に貢献した。赤星は近本について「自分より総合力が高い。打撃も守備も走塁もすべてが一流」と評価している。赤星が確立した「1 番打者は足で稼ぐ」というスタイルは、阪神の攻撃パターンの基盤として受け継がれている。また、赤星は社会貢献活動にも積極的で、盗塁 1 つにつき車椅子 1 台を寄贈する活動を現役時代から続けており、通算で 400 台以上の車椅子を寄贈した。